液タブのペン、見つけちゃったよ
どうも、液タブのペンを失くしていた者です。
時をさかのぼると、まず1カ月ほど前に液タブのペンが行方不明になりました。これまでも液タブのペンが行方不明になることは3か月に1回ぐらいのペースであったので、「まあそのうち出てくるだろう」と軽く考えていました。
で、ずっと見つからないまま1ヶ月ほど経ち、本日たまたま見つかったわけです。めでたしめでたし・・・
また1つ自分の問題点が浮き彫りになりました。
部屋がゴミ屋敷風味であること・・・ではありません。
それはペンを失くした時の僕の気持ちです。時系列で振り返らせてください。
【最初】
(あれ?ペンが無いじゃん。まあ今日は絵描くの休みでいいか、ペンはそのうち出てくるだろ)
【最初~2週間】
(ペン全然出てこないな・・・デジタルはペンが無くなると描けないんだよなー。でもまあそのうち出てくるだろ・・・)
【2週間~4週間】
(うーん、ほんとは描きたいんだけどなーペンが無いからなーどうしようもないよなー・・・まあそのうち以下略)
各場面の解説をしましょう。
【最初】では、絵を描こうと思ってペンを探したときに無かったわけですね。嬉しかったですねー、警報が出て学校が急に休みになった時のことを思い出しました。
【最初~2週間】でも、まだペンが見つかってませんね。デジタル環境のこと愚痴ってますが、もちろんアナログでも練習はしていません。紙と鉛筆があれば絵は描けるということを忘れてしまったのでしょうか。
【2週間~4週間】もちろんペンはありません。さすがに徐々に焦りを感じてきて軽く掃除したりするのですが見つかりません。そして掃除をしたことに満足感を覚えてペンのことなどどうでもよくなるのでした。アホなの?
何ですか?これ、明らかにペンを失くして喜んでますよ。細かく言うと、ペンがどっかいったという外的要因(原因は自分)によって、休みの日に絵や漫画を描くという苦行から逃れられることに深い喜びを感じてますよ。とんでもない怠け者ですね。
自分は怠け者だという問題点を再認識したこの一件ですが、新たな発見もありました。
ここまで読んでくださった方は「いや、もう絵描くのやめろよ・・・」と思われているかもしれません。「何のために絵描いてんだよ・・・」と。
確かに僕は絵を描くのが楽しくありません。苦行だと思っています。いい絵や漫画を描きたいと思い妄想するのですが、それを作る作業自体は全く好きではないという典型的なダメな奴です。
でも僕はこの1ヶ月間、今まで絵を描いてきたおかげで1つ喜びを感じることができました。
それは絵を描くことをサボる、努力をせずに楽をする、ということに対する喜びです。恐ろしいことにサボって得た時間でゲームをすると普段の1.5倍ぐらい楽しめるのです。
僕には「自分の描いた漫画を見て、誰かが”面白い”と言ってくれたらいいな」という夢があります。しかしその夢から離れるような、楽な選択肢を選んだとき・・・
待っていたのは、とても気持ちのいい背徳感でした。
多分今まで絵をかいていない人生だったら「ああ・・・また今日もFIFA(サッカーゲーム)で選手の育成をするだけの一日を送ってしまった・・・」とか「ああ・・・今日は6時間もドライブして結局コンビニにしか行かなかった・・・」とか勝手に絶望しながら思っていたと思います。
でも僕は”絵を描くことをサボっている”ということを口実に、悲壮感を感じない生活を送っていました。負の感情と負の感情を掛けると負の感情が消えるんですね。これは恐ろしい発見です。負のスパイラルに陥りそうですね。
【サボること=気持ちのいいこと】
だと気づいてしまった僕が、これから良い絵や漫画を描ける未来はあるのでしょうか?
なんか面倒くさくなってきたのでこの辺で終わりにします。
サボりたいんです。このブログも。